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大阪メトロ・千日前線「なんば」から地下街「なんばウォーク」方面に歩き、一番寂し気な19番出口(Cー5)を地上へ上がろうとすると・・・。
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居酒屋「大ざわ」があります。一応、関西ではチェーン店のようです。
大阪メトロって、以前紹介した「緑橋」駅構内のライブハウス「戦国大統領」もそうなんですが、こういった半地下のスペースに店舗があるんですよね。
で、こちらの「大ざわ」は私が頻繁にミナミへ行くようになってからはこの場所にあったように記憶しているのですが、一回も入った事ないんです(汗)・・・。
私、よほどの事がないと、ひとりでは外食できない人間なんで(汗)・・・。
やはり、漠然と子供の頃から「大人になってから行くような店」だと決めつけてたので、おもいっきり大人を通り過ぎて死にぞこないに私はなっているのに、今だに敷居が高いんですよね(爆汗)・・・。
昨年の秋頃かな?この「大ざわ」が工事シートに覆われていたので、「遂に一度も行けないまま、コロナ過で潰れてしもたんか!」と、ガッカリしたんやけど、リニューアルオープンしてホッと胸をなでおろしました。
この19番出口を上がるたびに思い出すIさん、ミナミの映画館はすべてIさんに教えてもらった。
『未知との遭遇』や『野生の証明』を観た南街劇場、『スウォーム』や、『宇宙空母ギャラクティカ』で初めてセンサラウンド方式を体験した千日前・国際劇場に、『コンボイ』が初めてやった大阪・松竹座や、『2001年宇宙の旅』があまりにも退屈で、途中でギブアップしかけた千日前・スバル座など、みんなIさんに連れて行ってもらった。
ちなみに、私のオカンは私と弟を自分の田舎へやるときには、数回ウルトラCをキメていて(超爆)、里子へ出してた時には自分の親に対してバツが悪かったのか忙しかったのか、なんとIさんに頼んで私と弟を宮崎まで迎えに寄こしたんですわ(爆汗)・・・。私の祖父母も驚いてましたけどね(汗)・・・。
Iさんはご自身の故郷(大分か長崎)に帰りに寄って、私と弟を遊ばせようと思ったらしいのですが、我が子に一瞬でも早く会いたいと私のオカンに却下され(爆)、私は1977年の8月1日に大阪へ戻る事になります。
(ちなみに大阪から宮崎に行く時は、大阪に就職していた私の従姉妹が里帰りついでに付き添ってくれた)
で、春に宮崎に行く時も非常事態で慌ただしかったので、私も弟も荷物が少なく、服が少ししかなかった。
私、寝屋川の学校も宮崎の学校も私服登校やったので、子供やから半ズボン一丁ですわ。毎日同じジーンズ生地の半ズボン。
だから春から夏にかけての間で、ボロボロの服しかなくなってしまった。ちなみに、私はオカンが貧乏で行けなかったという同じ学校の修学旅行に、ひとりボロボロの恰好で行ったからね(鹿児島やった)・・・因果はめぐるんやね・・・。
とにかくオカンからしたら継母にあたる私の祖母は破天荒な人で、細かい事を気にしない。格闘技好きのおばあちゃんやった。
大相撲開催中は、相撲中継が終わるまで、ご飯なんて作ってくれなくて(汗)・・・。
話が随分と脱線しましたが、Iさんは、ゆくゆくは私のオカンと結婚する気があったから、オカンの無理を聞いて私と弟を宮崎まで迎えに来てくれたのですが・・・。
帰りの新幹線の車内でね、Iさんが前の席のサラリーマン二人にごっつい絡まれてるんですよ。
「なんでおたくは子供たちにこんなボロボロの恰好をさせて新幹線に乗せるんだ」と(嘘のような本当の話)・・・。
Iさんは、咄嗟に「いや、俺の子供とちゃうねん。頼まれて連れて帰るとこや。なあ?」と私と弟に確認を求めるから、私も弟も「ホンマやで」って言うてんのに、サラリーマンはIさんが私らに嘘を言わせているとさらにヒートアップしてね。
要は、「せっかく夢の超特急に乗るのだから、もっとええ服装で乗せてやれ」と、「たとえ他人の子でも」と。
今なら大変なトラブルになりかねないが、昭和って良くも悪くもそういう時代やった。
私は大人になって、Iさんに絡んできたサラリーマンの気持ちは痛いほどわかる。
感動の対面を果たした私ら兄弟とオカン。オカンは私と弟を自分が根付いた福島区のアパートに招き入れると、乾杯もそこそこに、Iさんを部屋から退散させ(超爆)、Iさんも「親子水入らずで積もる話もあるやろ」と、笑顔で帰っていった。昭和の男気よね・・・。
Iさんから新幹線の車内での事を聞かされたオカンは泣いてIさんに謝ってたわ。
だから翌年の夏休みに、宮崎から叔母さんのいる鹿児島・指宿に遊びに行った時、大阪へ帰る前日に、叔母さんは私と弟に気に入った服一式を買い与えてくれたんですよね。
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御堂筋の地上から見た「大ざわ」はこんな感じ。
Iさんはオカンと結婚したいと言うので、中学生になった私に相談してきた事があった。オカンは私たち子供に一任すると言ったのですが、子供って大人の事を凄くよく見ているので、どこか無頼なところがあったIさんとオカンの結婚には、私が反対した。
すると色々と気まずくなったのか、Iさんとオカンの関係も終わったみたいやった。
でもね、いつも映画に連れて行ってくれて、終わると千日前でてっちりを食べさせてくれたIさんは忘れる事が出来ない。
今でも、「大ざわ」のある19番出入口を通るたんびに思い出す。あの1970年代後期のなんばの風景が甦る。
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自分が大人になったらこういうところで酒飲んでるのかな?と思いながら・・・。
もうとっくに大人になって、いつ死んでも別に不思議がられない年齢になって、今の私の為にあるような飲み屋なのに、今だに入れないから自分でも不思議。
一番多感な年頃の想い出の数々を心が大事にしているからでしょう。
私は今でも、ミナミに映画観に行く時だけは少年に帰っていますからね。